気温の低下を肌に感じ、本格的に冬が到来したことを知りました。
母から「おじいちゃんが死んだ」と連絡があったのはそれからすぐのことです。
突然のことでした。死因は心筋梗塞です。
いつか、冬になると死人が増えると聞いたことがあります。
熊などが冬眠するように人間が眠る時期も自然の摂理に従っているのかもしれません。
小さいころ祖父の家にいくと夕飯にサラダが出てきました。
ハムときゅうりのサラダです。
祖父は僕にハムをあんまり食べるなと言いました。
子供ながらに僕は祖父を小さな人間だと思いました。
それ以外にも母の披露宴で「これでみんなでパーッと飲みに行きなさい」と言い、
母に封筒を渡すとそこには5,000円札が1枚だけはいっていたという話も聞きました。
バブルの時代です。祖父はそういう人間でした。
僕が祖父と最後に喋ったのは2年以上前だと思います。
正月、実家に帰省した際に母に強引に電話を渡された時。
母、姉、妹、僕の順番で代わり替わり交代し、僕たち兄弟は電話が終わると一仕事終えたような安堵感、
そして次の電話番が回ってくる兄弟に含み笑いと共に受話器を渡します。
「元気か?仕事なにしとんや?」
元々活舌が悪い祖父でしたが、それとは違う、どちらかといえば呂律が回っていないという印象でした。
酔っぱらっているせいなのか、それとも老いなのか。僕の母が最近祖父がぼけてきているという話をしていたので「老い」だったと思います。
年齢が27歳になる孫が、いまだに職を転々としている状況に祖父は関心を示しませんでした。
なにを喋ったのかほとんど覚えていませんが、
「男は性病になったら一人前」「お前はダメ人間やから養子になれ」と言っていたのは憶えています。
別に親戚の期待など感じたことも、心配させたくないという思いも抱いたことはありませんが、
今思えば祖父の僕に対する気持ちは親と同様に 「期待→諦め」 に推移していっているように感じました。
その自分の気持ちに気づいたとき、僕は期待されたいんだ。祖父の自慢でありたかったんだ。と気づきました。
自尊心も高く、面子を気にする祖父ですから僕のことを周囲に自慢できないことはとても悲しいことなのかもしれないと思いました。
自分はそこそこ社会的に成功しているにも関わらず、社会で生きていくのにも精一杯な孫。
これからも何も成すこともなければ世間でいう「普通」のレベルになども達することもできないだろう。
そんなダメ人間の孫にも自分の血が流れている。
葬儀は明石で行われました。
祖父と絶縁した叔母は葬儀には来ていませんでしたが、その娘は葬儀に来ていました。
制服を着ていたので学生だと思います。
自分が小さい頃はよく従弟に遊んでもらっていましたが、
一定の年齢を境にずっと従妹などと接する機会はなく、僕は年下の従妹に対してどう接していいのか分かりませんでした。
敬語が正しいのか、タメ口のほうがいいのか。
そんなことを気にしている時点でもはや親戚よりも遠い存在なのかもしれません。
いえ、もしかすると自分が職を転々としていることが原因でしょうか。
後輩ができる前に大体仕事を辞めてしまうので、後輩というものの扱い方を忘れてしまったのかもしれません。
従妹は祖父と親交が一番深かったらしく、誰よりも泣いていました。
棺に納められた祖父は色も材質も粘土のようでした。こねると球体になりそうでした。
もうそれは祖父ではありませんでした。なにも感じませんでした。
人間というのは器と魂で完全に分かれていて、自分はその「器」の方に感情移入をすることはできません。
死ぬと、ありとあらゆる穴から体液がでるのでそれを防ぐために脱脂綿を鼻の穴や、耳の穴に入れるのを何度か見たことがありましたが、
祖父の鼻の穴にはなにも詰められていませんでした。そこからずっと鼻血が滴れていました。
葬儀屋の質が悪い為か、匂いもきつく、腐敗が進んでいるのだとわかりました。
悲しみよりも、「臭い」という印象でした。生きている人間が嗅いではいけないような匂いでした。
スーパーに売っている豚もつのような匂いです。
会食の時間になると、親戚一同みんな口を揃えて「あの人は頭はよかったけど人間性はクズだった。」と言いました。
初めて会った祖父の妹は祖父にそっくりでした。身なりからある程度の金持ちだと判断ができました。
しかし行儀は悪く、「食べる」と「喋る」を同時に行うので、口から料理がポロポロ落ちました。
会食後、祖父は火葬場に配送されるための霊柩車の前で待機していました。
葬儀屋の人間が親戚の男性諸君に棺をもつよう指示しましたが、
初老2人、成人男性1人、高校生1人、で持つには重すぎて結局葬儀屋が棺を詰め込みました。
金を払ってるのにこちらに労働させるのか、と思いましたが、
この謎の計らいはこの葬儀屋のサービスの一環なのかもしれません。
何時間か経って、親戚一同はバスで火葬場まで向かいました。
そこにはきれいに粘土が取り除かれた祖父の姿がありました。
みんな、箸で小さな骨壺に骨を入れていきました。
途中。葬儀屋の人間が骨の収まりをよくするために、祖父の骨を砕いたり、向きを変えたりしているのに少し笑いそうになりました。
帰りのバスで血のつながっていない祖母が
「墓は立てず、散骨する。私が死んでお父さんのお墓が放置されたら嫌だから。」と言いました。
「それやと、墓参りにいかれへんなあ。」
祖父の妹はそれにあまりいい気はしていないようでした。
散骨に対してなにも否定的ではありませんが、散骨を選択した祖母に対して僕は冷たい人間だと思いました。
祖父は散骨などを望む人間ではないと思ったからです。
自己中心的で私利私欲にまみれていた祖父は自分のモニュメントを建ててほしいに決まっています。
自分の生きた証を残したい人間。「おじいちゃんはすごかったのよ。」と言われたい人間に違いありません。
仮に、墓を建てて誰も墓参りにこなくても、墓の前で悪口を叩かれても祖父の墓を建ててほしいと思いました。
「おじいちゃんはすごかったよ。人間性は終わってたけど。」
いつかそんなことを言いに来る場所がないのは孫として寂しいと思いました。
仮に今日集まった親戚の人間が祖父を覚えていても、
その子供、またその子供、そのうちどこかで祖父が生きていたことなんてなかったことになってしまいます。
祖父が生きていればなんと言ったのでしょうか。
死人に口なし。おじいさま。安らかにお眠りください。