エッセイ

時間に支配されない優しい大人になりたいです。

YouTubeをずっと垂れ流しながら、動画に飽きたらスクロール。

こういうのみたいんちゃうねんと。思いつつ再読み込みして面白そうな動画を見つける。

そんなこことをしているうちに1日が終わった。

あぁもうこんな時間か。正月でよかった。

普段なら罪悪感に苛まれてたけれど、どうせ正月はみんな怠惰な生活を送っているだろうしこんな日もよし。

 

そして3日が経つ。

いい正月だった。オナニーも3日我慢できたし、宣言した(自分の中でだけ)禁酒も実質成功している(2日飲んでしまった)。

 

しかしなんだ。この何かしないといけない。隙間を埋めないといけない。

常に予定がないと時間を無駄にしているように感じてしまうのはもはや病気だと思う。

そんな自分に嫌気がさす。

なぜなら僕は予定がぎゅうぎゅうの人間が嫌いだからだ。

この「予定パンパン人間」であるが男は少ない。

かなりの偏見ではあるが基本女の子に多いと思う。

「予定パンパン子ちゃん」である。

「いつあいてんの?」

「次はね~再来月の・・」

単純に僕と遊びたくなくてそういう言い方をする人もいるだろうが、本当に2か月先までずっと予定が詰まっている子もいる。

単純に寂しいのか。何もしていない時間を無駄にできないと思っているのか。

 

僕は「予定」をできるだけ作りたくない。

1か月先とかもってのほかだ。気が狂う。

その予定をずっと覚えておかなければならない。

予定表に書けばいいが、次はその「予定表をみないといけない」というタスクが発生する。

もはや仕事だ。

とにかくやんわりさせておきたい。

スペースを空けておきたい。

余白をあけておきたい。

ふわっふわに。

 

例えば日曜日にデートの約束をしたとしよう。

集合場所くらいは決めてもいいが何時というのはやんわりしたい。

14時から16時の間。とか。

午後らへん。とか

「紅茶が飲みたくなるお時間」みたいなオシャレな言い方でもよし。

もちろん時間を決めなければ会うことができないので当日には決める。

ただこの時間を決めなければならないのも相手を待たせてしまうということがあるからであって、

どちらかの家で待ち合わせすれば時間も厳密に決める必要もなくなる。

でも「こっちに来てもらってるし駅くらいには迎えに行かな。」という良心が働いてしまい、結局時間を決める羽目になる。

この時間に縛られない休日を過ごそうと思うと、今自分に根付いている道徳感を全て取り除かなければならない。

 

優しい僕はそんな悪者になれない。

あまりにも優しすぎる。

道端でリードの繋がれてないでかい犬をみて心配してしまう。

彼女のパンティを脱がしたときに糸が引いていても、気づかないフリをしてしまう。

でも相手に10分でも遅刻されるとキレそうになる。

ほんとは優しくないのだろうか?

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